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翻訳記事「自閉症を克服した子供たち」 (その3)

元記事:The Kids Who Beat Autism By RUTH PADAWER, JULY 31, 2014

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16歳の快活な少年、マーク・マクラスキーくんも、フェインの研究で取り上げられた、自閉症ではなくなった子どもの一人です。空いた時間には、テレビゲームをしたり、ロボットを作ったり、プログラミングをしたり、友達と近所の公園をぶらついたりしてすごしています。友達と共同で主催している週刊インターネットラジオには3万2千人のリスナーがいて、その番組ではアプリのレビューをしたり、技術系のニュースについて議論したり、つまらない(本当につまらない)冗談を飛ばしたり、連載コーナーも作っています。

今となってはどこにでもいるようなオタク少年の彼ですが、ここにいたるのには何年もの大変な日々がありました。3歳になる直前に中度から重度の自閉症との診断を受けた彼は当時、周りの誰にも関心がないようであり、言葉もほとんど理解していないようでした。すさまじいかんしゃく持ちで、怒っているように見えないときですら、延々と同じパターンを繰り返すようにプログラムされたロボットのように、壁に頭から突進して倒れては起き上がることを繰り返していました。額にひろがる青あざとは裏腹に、まるで痛みも感じていないようでした。

マークくんの両親のシンシアさんとケビンさんは彼を発達遅滞のある未就学児の施設に通わせ、はじめは高機能児のクラスに入りました。しかし状態は悪くなるばかりで、かんしゃくは増え、言葉はさらに減っていき、数ヶ月としないうちに最も知的障害の重い子たちのクラスへと移ることになりましたた。神経科医からは、いつかは施設入所をさせることになるかもしれないので覚悟するように、と告げられたとシンシアは語っています。

失意のうちに両親はマークくんをやめさせることにしました。家を担保に10万ドルを調達し、人事の仕事をしていて当時家の稼ぎ頭であったシンシアさんが、仕事を辞めてマークくんとフルタイムで関われる体制を整えたのです。インターネット上の情報をあさり求め、危険そうでさえなければ、効きそうなものは何でも試してみることとしました。ビタミンB12の注射を打ち、乳製品除去・グルテン除去・大豆除去の食事療法も行いました。専門家を雇うほどの経済的余裕がなかったため、さまざまな行動療法の本も読み、その中で気に入ったものを元に自ら訓練を受けました。こうしてついに、行政が提供する週に5時間の言語療法作業療法に加えて、週に40時間の行動療法プログラムをこしらえたのです。

最初の何年かはとても大変でした。当時のマークくんは卵を壁に投げつけたり、牛乳を床にぶちまけたりしていたので、冷蔵庫には重い鎖をかけ南京錠でロックしていました。リビングの家具を撤去してエアートランポリンを置き、その周りはゴムの壁で囲んで、マークが自分自身を傷つけずに、思う存分飛び跳ねぶつかり、欲している感覚刺激を得られるようにしました。また、食べ物や飲み物がほしければ、その要求を言葉かジェスチャーか絵カードの指さしをして伝えない限りはもらえないことを、はっきりとさせました。

旧来式の学校では彼の強みをちゃんとわかってくれたり、弱みにの改善に取り組むことは期待できないと考えたため、学校へは行かせず家での教育を行うことにしました。8歳になる頃には言葉と行動は同年代児と遜色がなくなってきましたが、社会的な思考については典型的な自閉症の特徴を残したままでした。最近のビデオチャットの中で彼はこう語っています。「ルールがあることはわかってた。でもどんなルールかを覚えていられなかった。人と関わるときに、何をしたらよいとされていて、何をしてはいけないとされているのかを覚えておくのが難しかった」と。表情やジェスチャーなどの社会的な手がかりに気づくことはほとんどなく、気づいたときにもそれをどう解釈したらいいのかはわからなかったのです。当時の彼は粗雑で、べたべたと接触しすぎ、他人のパーソナルスペースにすぐに侵入してしまっていました。

シンシアはこうした社会性の遅れの改善に着手していきます。マークと一緒にテレビドラマの録画を見て、数分おきに一時停止し、次に何が起こると思うか予想させたり、主人公が何を考えていると思うか、他の登場人物がどうしてそういう反応をしたと思うかを話させたのです。全話を見終えると、次は表情の読み取りの練習ができるように「大草原の小さな家」を見ていきました。マークは感謝しているように語ります。「テレビを見ていたとき、ママの質問に答えるのが大変で混乱したことを覚えてる。でもそれには必ず何か理由があるんだということはわかった。ただ、どうしてそれが役に立つのかはわかんなかったんだ」。

公園でもレストランでも、通りすがりの人の顔を見て探偵ごっこをしました。人々の関係や、感情の手がかりを見つけさせていきました。「そうしたことを他の子のようには吸収できないようだったので、マークが納得するまで、一つずつ全部段階を踏んで教えていったんです」とシンシアは語ります。

ちょうどそのころ、両親がクリスマスプレゼントにあげたロボット製作キットにマークくんは夢中になりました。人付き合いを練習する機会を切望していたため、シンシアさんはロボット同好会を作りました。マークくんと4人の定型発達の子どもが週2回放課後にマクラスキー家のリビングに集まるのです。最初はただロボットを作るだけだったのが、やがて5人はロボットのプログラミングをして大会に参加するようになりました。2年前にはマークくんは世界選手権にまで進みました。その時にはシンガポールから来た少年たちとランダムに割り振られたチームを作り、その場で協力して戦略を練る必要がありました。そうして何回戦かマークたちのチームは勝ち進んだのです。いくつかの根深い社会性の弱点はあるの、もはや自閉症の診断基準は満たさない、と専門家に告げられてから3年が経ったときのことでした。その競技でマークくんがチームメイトとしっかりと協力する姿を見てシンシアさんは涙が止まらず、ホールをそっと抜け出しました。

マークくん自身も、自分がどれほど成長したかを知っています。「自閉症でいることに何も悪いことはないよ。でもそうじゃなくなってからの方が、人生がずっと楽になったと思う。ぼくが思い出せるかぎりずっと小さいときからぼくは自閉症だったことは知ってた。でも自分で自閉症だって感じたことはなかった。ただ「ぼく」でいるだけの感じだった。どう感じるかっていったら、これがぼくに言える全てだよ」(訳注:この辺の訳はかなり迷っています。マークくんが言おうとしていることをどこまでくみ取れているか・・・)

フェインの研究では、元々自閉症だった人々はしばしば残存症状を持つことがわかっている。少なくともはじめは。これには社会的不適応や、ADHD、反復運動、関心のほどほどの固執、原因と結果を説明する上でのかすかな苦手さなどが含まれます。マークくんの場合は、主な名残はオムレツのようにドロドロネバネバに感じる食べ物嫌いと、紙の手触り嫌いとで、こうしたものは今でも避けています。マークくんがかつては自閉症を抱えていたと話すといつも、周りの人は狂人を見るかのような目になるとシンシアさんは語ります。「お医者さんでさえそうです。『まぁきっと誤診だったんでしょう。なぜなら自閉症じゃなくなることはないからです』って。やんなっちゃいますね。マークはすごくがんばったんですよ。こうなるまでにがんばってきたことを全部否定するなんてずるいです。」


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