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翻訳記事「自閉症を克服した子供たち」 (その6)

元記事:The Kids Who Beat Autism By RUTH PADAWER, JULY 31, 2014

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カーマイン・ディフローリオくんも、フェインの研究で取り上げられた「最良の結果」の少年の一人です。幼児期には彼は何もきこえていないようであり、母親が反応を引き出せないかとわざと横で重たい本を落とした時にも、全く反応を示さない子どもでした。その代わりに彼は自分の中の世界にどっぷりと入り込んでいるようであり、飛ぼうとするかのように手をパタパタさせながら跳びはね、「ニーーーー!」と繰り返し叫んでいたのです。そしてそうではあるものの、不幸そうではありませんでした。

カーマイン君が2歳で自閉症の診断を受けた後は、自治体が提供する週3時間の療育を受け始めたのに加え、建設業を営む両親は週4時間の療育を自費で受けることにしました。その時のセッションのビデオで、セラピストがカーマイン君に身の回りのものの絵を見せて言葉を教えようとしている場面が残っています。牛乳の入ったグラスのカードが示されますが、カーマイン君の視線は泳ぎます。注意を引こうとして膝をたたき、名前を呼び、顔を動かす彼の目の前になんとか写真を差し出そうとします。彼はセラピストの向こうを透かして見ているようです。「ぎゅううううううにゅうううううう」とゆっくりと発音して見せます。目の前に写真を突き出して、自分の方に向くように彼の顎をぐいっと向けます。それがうまくいかないと、「注目!牛乳!」とまるめこもうとします。頭をつかんでセラピストの方を向くようにくるりとまた回します。「うーにゅ」とカーマイン君が声を出すと、「よくがんばったね!牛乳!」と応えます。その次には簡単な指示に従うことを練習させようとする場面です。「こうして」と自分の太ももをたたきながらセラピストが言います。すぐには何もしなかったものの、少しして彼は手を上げ、ひざにその手を落とします(訳註:ひざを叩くのと太ももを叩くのとを区別するのか・・・)。いい線いってます。「イエイ!」セラピストが叫びます。「いい子だねー!」と彼をくすぐり、喜んでキーと声を出します。

他のセラピストとのセッションでは、カーマイン君は練習をしたくない時に体を揺すりました。そうでなければ体をピョコピョコ上下させたりも。手をパタパタさせることもあります。これはセッションの中で興奮した時や、イライラした時、混乱した時、熱中したときによくする身振りであり、セラピストはそれを手で押さえます。こうしたものを見るのはあまり愉快なものではありません。当時の一般的な考え方としては、そのことに子どもが没頭してしまい、他の子どもを寄せ付けなくなってしまう恐れがあるために、反復動作は徹底的になくさなければならないというものでした。(こうした見方は今でも一般的ですが、子どもの動きを抑制する代わりに、多くの臨床家は別の動作へと置き換えていこうとします。一部の臨床家は、子どもの集中を妨げないようであれば、単にその動きを無視します。)

発達の遅れを持つ子どものための療育施設に通年のフルタイムで使い始め、そこで丸々一日集中的な行動療法を受けるようになって、カーマイン君はより速く吸収していきました。5歳になるひと月前の時に、複数の検査からなる評価報告書が家に届けられました。そこでは、彼のコミュニケーション、行動面、感覚面、社会性、日常生活スキル、手の巧緻性は定型発達の子どもと同レベルになったということが検査結果として記されていました。遅れていたのは、粗大運動能力だけになっていたのです。他の特記事項として、興奮した時に手をパタパタさせたり跳びはねたりすることがあると書かれていました。それについては、教師たちは「興奮をあらわすためのより適切な手段、例えば拍手することや人とハイタッチをすること」に置き換えていくよう促しました。幼稚園に入園する前には(訳註:日本で言う2年保育か1年保育?)、カーマイン君を診断した神経科医は彼にあってショックを受け、自閉症の特徴は基本的になくなったと明言しました。

カーマイン君は手のパタパタをやめさせるために周りの人たちがあれこれと奮闘したことを覚えていません。「なんで興奮が手のパタパタになっていたのかも思い出せないよ」と彼は付け加えます。「でも、どれだけ興奮していたかはハッキリと思い出せるんだ」。また、彼が6、7歳の頃にパタパタを妹にからかわれたこと、そしてそれからその衝動をコントロールしようと決めたことを覚えています。「パタパタしたくなったときには、手をポケットに入れるんだ。自分で思いついたんだと思う。2年はずっとイライラしてたよ。まるでニコッと微笑んだら、誰かに微笑んだらいけない、それは間違ってる、って言われるようなものだったから。でも時間が経つとしゅうかんになるでしょ。10歳か11歳ごろには、パタパタさせたいと感じることさえなくなったよ」。

幼少期のビデオで見たカーマイン君と、数か月前にあった19歳のカーマイン君とを重ね合わせるのは難しいです。今では、カーマイン君は快活で社交的で、目の合わせ方ややりとりの仕方に特徴的な身振りやくせは全く見られません。この秋にはボストンにあるバークリー音楽院の2年生に進級します。友だちのことも、授業も、一人暮らしの自由も、全てが大好きだと彼は話します。

その彼に、自閉症だった時のことを懐かしく思うことはあるか聞きました。「あの時のような興奮はもうないのがさびしいんだ」と彼は言います。「僕が小さかった時、僕はしょっちゅう最高に幸せだったんだ。体中をかけめぐり、内にとどめおけないほどの、究極の喜びだったんだ。それが、妹が僕をからかって、パタパタは人から見たら受け入れようがない変なことなんだと気づいた時に、消え去っちゃったんだ。今では本当にいい音楽を聞く時が、その時の喜びを感じる主な時かな。その喜びは今も体中で感じるけど、前してたように外に向かって見えるような出しかたはしないんだ」。

カーマイン君の母親のキャロル・ミグリアッキオさんは、小さかった頃、彼の成長を見るのがとてもワクワクするようなものだったことと、でもその後で彼のしている経験がどれほど普通じゃないかを痛いほどに気づかされていったことを話してくれました。はじめ、カーマイン君が療育施設で急速な進歩を遂げた時、両親はおおっぴらにその喜びを話さずにはいられなかったと言います。「その時の私たちは、こんな風でした。『ああ神様!ケーキを分けたわ!しゃべってるわ!よくなって行ってるのね!』と」。しかし彼の療育仲間のほとんどは、ずっとゆっくり成長していることにもすぐに気づいたのです。「後ろめたかったわ。この子は山を登って、他の子は登っていないの。一つの教室に7人の子どもが、おんなじ先生たちといて、自分の世界でまだグルグル回っている子も、まだ喋らない子も見えちゃうの。申し訳ないばかりになるの。他のお母さんたちから『私がしていない、一体何をしてる?』と聞かれるでしょう。でも何も答えられないんだから」


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