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翻訳記事「自閉症を克服した子供たち」 (その1)

元記事:The Kids Who Beat Autism By RUTH PADAWER, JULY 31, 2014

はじめは、Lさんの男の子の赤ちゃんはいたって普通のようでした。発達のマイルストーン(訳注:3-4ヶ月で首すわり、など)は全部すんなりと通過したし、あらゆる発見を楽しんでいるようでした。しかし12ヶ月ごろから、その男の子、Bくんは退行しはじめたように感じられ、2歳になるころには彼は完全に自分の世界へ閉じこもってしまいました。もう目もあわせないし、聞こえていないようだし、時折自分で話すあれこれの言葉も理解していないようです。おっとりとしたふるまいは、かんしゃくと頭打ちに取って代わられてしまいました。「あの子はとてもいい子だったんです。それが突然薄れていって、ばらばらになっていったんです。どんなに悲しかったことか。とても耐えられませんでした」とLさんは語ります。ほかの何にもまして、Lさんは、朗らかで活き活きとした男の子に戻ってきてほしかったのです。

数ヵ月後、Bくんは自閉症の診断を受けました。両親はひどく落ち込みました。それから程なくして、Lさんは自閉症の療育者、研究者、そしていくばくかの必死な両親が集う学会に参加したのです。お昼にLさん(子供のプライバシーのためイニシャルを用いるよう頼まれています)は、同じように変わってしまった息子のことをあれこれと話すジャッキーさんと知り合います。ジャッキーさんの男の子、マシューくんは、耳の感染症のせいですぐによくなるから心配する必要はないと言語聴覚士に言われていました。しかしそれは間違いでした。数ヶ月のうちにマシューは誰のことも、両親のことさえもわからなくなりました。最後まで残っていた言葉は「ママ」でしたが、それもLさんがジャッキーさんと会ったころにはなくなってしまっていたのです。

それから数ヶ月、数年の間、Lさんとジャッキーさん二人は何時間も電話で話し、あるいは家を行き来しました。不安やいらだちを共有し、治療法についての考えを交換し、同じ恐怖と混乱を抱える相手とともにいくつもの山を越えていく中でお互いに慰めあいました。私が彼女たちに初めて会ったとき、90年代に試してきたあらゆる療法の話をしてくれました。感覚統合、ビタミンの大量摂取、乗馬療法や、サプリメント自閉症が直せると主張する心理学者が出したひどい味のする粉なんかの話を。そのどれも、どちらの子にも効きませんでした。

彼女たちは応用行動分析、あるいは略してABAと呼ばれる療法についても検討しました。当時盛んに議論されていたその療法は、あらゆる日常生活の中の行動を、小さな、覚えやすいステップに分解し、それを暗記と徹底的な反復で身につけさせるというものでした。息子がロボットにされてしまうに違いないと考えたので、二人は一旦はそれを却下しました。しかしBくんが3歳になる直前に、Lさんと夫は、ABAを二人の子供に行って自閉症から「回復した」と主張する女性の本を読んだのです。Lさんは読み終わった次の日から、本の巻末に載っていた練習をしてみました。それは、指示を出し、子供がそれに従うようプロンプトし(促し)、それをしたら報酬を与えるように、というものでした。Bくんに「パチパチして」と言って、それからBくんの手をとって拍手させるのです。それからBくんをくすぐってあげたり、M&Mチョコレートを一粒あげたりしながら「いい子だね!」とほめるのでした。Lさんは自分が何をしているのかほとんどわかっていなかったものの、それでも「今までにしてきたどんなことよりもすごい成長をしたんです」と語っています。

Bくんの成長にびっくりした両家はABAが開発されたカリフォルニア大学のABA専門家を雇って、3日間の訓練を受けました。料金は莫大なもので、謝礼だけでなく飛行機代やホテル代まであわせて、1万ドルから1万5千ドルもしました。専門家たちは何時間もかけてそれぞれの男の子を観察し、彼らの特性を見つけ、両親がするべき対応の仕方の詳細なリストを作りました。そしてそれから数カ月おきに戻ってきては新しい段階に進み、言葉をどう使うかだけでなく、声の出し方やごっこ遊びへの混じり方、ジェスチャーの使い方や人のジェスチャーの汲み取り方など様々なことを教えようと取り組みました。また、両家では息子たちにABAを行う人を雇って訓練を受けさせ、二人は週に35時間の個別療育を受けるようになりました。

専門家たちが教えたことはたとえばこんな風でした。子供が何かをほしがったら、それを渡すこと。ただし、その子が大人の方を見るまでは手を離さないこと。一ヶ月もたたないうちに、Bくんは人に何かを頼むときに相手を見るようになりました。そうしないとほしいものが絶対にもらえないとわかったからです。4ヶ月経つころには、助けを求めているとき以外にも人を見るようになりました。それから数週間練習して、ほしいものを指差すというスキルを身につけました。指差しの力を一度知ると、Bくんは、それまでしていたようにお母さんを冷蔵庫のところまで引っ張っていって、お母さんが自分のほしいものをわかるまでうなるようなことを一切しなくなりました。ブドウがほしいときにはブドウを指差せばいいとわかったのです。Lさんは後になって語っています。「1歳から3歳ごろまでは、真っ暗で恐ろしさばかりでした。でもどうやって物事を教えていけばいいかがわかってからは、闇が晴れたのです。わくわくするようになったのです。毎朝おきて、新しいことを教えるのが楽しみでたまりませんでした。全くつらくなんてなかったんです。とっても、とっても、救われた思いでした。」それから程なくして、Bくんはコミュニケーションのために言葉を使うようになりました。ただし、そのきっかけは半ば偶然の、発明のようなものでした。あるとき、Bくんが冷蔵庫にあるブドウを指差したので、Lさんはそれを取り出して、房からプチッと取って渡してあげました。そうすると突然Bくんが叫びだしたのです。床に転がって、怒り悲しみに身もだえしたのです。Lさんは戸惑います。間違いなくブドウを指差していたはずなのに。何か私が誤解してしまったのか。なんでそんなに腹立たしいほどに気まぐれにかんしゃくを起こすんだろう。

そう考えていると、突然、Bくんが「木!木!」とねだりました。これでピンと来ました。房についたままのブドウがほしかったんだ、自分でそれを取りたかったんだ!「ああ、神様なんてことだろう。これまでに気まぐれなかんしゃくだと思っていたことが、この子にとってはぜんぜん気まぐれなんかじゃなかったことがどれだけあったことだろう。とても申し訳ない思いでした。これまでに言えなかっただけで、いろいろなことをしてほしかったんじゃないのか」と。

それからBくんの言葉の力は急速に開花していきました。幼稚園を卒園するころにはおしゃべりで愛想の良い子に育っていました。ただしその反面で、人付き合いは苦手なままだったし、多動で、動物の世界に首ったけのところも残っていました。恐竜や魚は全部知っていたぐらいです。その時に頭がいっぱいになっていることがあると、聞いてくれる人には、いや聞いてくれない人にでも、とめどなく話してしまうのでした。Lさんは3枚の小さなラミネートしたクーポンを作って、毎朝Bくんに言い聞かせながらそれを前ポケットに入れてやります。自分の好きな動物の話をしたときや、ほかの子が離れていったり話題を変えようとしていることに気づいたら、クーポンを反対側のポケットに1枚、移すんだよ。そのクーポンがなくなったらね、その日はほかの話すことを探さないといけないよ、と。クーポンのおかげか、成長したおかげか、はたまたほかの何かのおかげか、Bくんの一人語りは2年生の終わりにはやみました。その頃からこだわりもゆるんできました。Bくんの主治医は、自閉症の最後の名残もなくなった、もう一番ゆるい診断基準でも満たさなくなった、と結論付けました。

これを聞いてLさんは天にも昇る気持ちになったのと同時に、罪悪感にもさいなまれました。ジャッキーさんの息子もBくんと同じ療育を受けていたはずなのに、同じようには成長しなかったからです。マシューくんはまだ話せませんでした。ほかの子や、おもちゃにもほとんど興味を示さないままでした。それまでにあの手この手で教えようとしてきたにもかかわらず、マシュー君のコミュニケーションは極めて限られたままでした。嬉しいときには大声でキーキー叫び、吐き戻したとき(ほぼ毎日1年にわたってしていました)はどうやら機嫌が悪いようだ、とお医者さんが身体的には異常がないということから考えるようになったぐらいでした。

「ジャッキーはマシューくんのために何だってしたのよ」と語るLさんの声は不安に満ちていました。「そう、何だって。私と同じぐらいがんばったのよ。同じ人も雇って、同じ課題をやって・・・」。その声はかすれいってしまいます。行動療法のおかげで息子を取り戻すことができたと確信しながらも、どうしてマシューくんに同じような効果がなかったのか、わからないのです。



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