子どもの気持ちの切り替えのために「叱る」ことについて
(Twitter連投にちょっと加筆修正。)
※Twitterでフォローさせていただいている まうどんさん(@mauzoun)がステキなマンガを描いてくださったので、「文字よりも絵!」という方は、ここから飛んでくださいな。
止めること・叱ること | マンガ蒲田家★定型外家族
ちょっと乱暴に言うと、
「子どもの聞き分けがない」「子どもが気持ちの切り替えが苦手」というのは、
大人が「子どもが気持ちを切り替えるまで待ていない、寄り添えていない」「子どもに伝わるぐらい丁寧に伝えられていない、うまく叱れていない」という風に、
大人の側の課題としても考えられます。
このように2つの面があるので、この記事も2本で1セットです。もう片方はこちら。
子どもの気持ちの切り替えのために「寄り添う」ことについて - dicelogue
「叱る」時に大切なのはどんなことでしょう?ざっとこんな風に私は考えてます。
目標は、子どもが適切な行動をとることを自分で選んでいけるようにすることです。
だからこそ、次のような大前提の確認がいります。
「子どもを怒ったり叱ったりすれば、子どもは懲りて反省して『悪いこと』をしなくなるはず」という無意識の期待を捨てる。私たちはこの期待に、あまりにも根深く囚われています。たぶん、完全に自由になるのは無理でしょう(私もです)。だから、そのことを自覚する。私たちは、キツく怒れば子どもが一時的に大人の思い通りに動くことを覚えています。そして、それを子どもがすぐに忘れることを忘れます。何度も。
- 強く怒られた時に反射的にビクッと止まることが、「怒る/叱る」ことの最大の効果です。これはそれだけでは持続しません。そして、繰り返すとだんだん麻痺していきます。だから、他の手立てを組み合わせる必要があります。交差点から飛び出しそうになっている子に、「止まりなさい!」と声を張り上げことは必要です(それで全く止まらない子ならハーネスなどの必要性が高いです)。それに加えて、たとえば横断歩道を渡るときに手をつなぐことを教えていきます。
- 何かを「教える」ということは、「ある特定の行動をできるようになること」と考えると明確になりやすいです。ついつい「飛び出さない」という否定形の伝え方をしたくなりますが、「交差点まできたら点字ブロックに乗って大人の方を見る」「手をつないで渡る」ことを教えるような形です。つまり「ダメ!」と叱ることに加えて、どうするか具体的に伝えること、それを実際にさせて、本人がまた繰り返したいと思わせることがセットで必要と考えられます。年齢が低いうちは決め打ちの形になりやすいですが、発達段階に応じて、代わりの行動を自分で考え・選べるように、ステップアップを。
- 怒られることに慣れすぎて麻痺することを防ぐには「強制的に意識を大人に向け直させる」という怒ることの効果を節約・出し惜しみすることが有効です。1日中怒鳴りつけざるを得ない状況だとどんどん効き目が薄れます。意識して目を瞑ることと、その反対に積極的に怒る/叱ることのメリハリを。メリハリは、大人の精神衛生上も大切です。よほど心の広い人でない限り、「叱らない」だけでは苦しくなります。「これは存分に叱りたい」という項目をいくつか決め、それについて思う存分叱って怒りを吐き出すことが効果的に働くように、他のことを意識して目を瞑るようなイメージ。
- 叱ることというのは多くの場合、子どもの意識・注目のコントロールを引きつけることです。そして、往々にして、怒鳴り声だけでは一瞬しかこちらに意識を向けさせることはできません。何かが気になり続けているときには、一旦それを取り上げ預かる、その場所を離れるなどが必要なことも多いです。離れたところから言葉で注意をして、子どもが生返事をしたので待っていたけれど改まらないので、最終的に大人が爆発、というのが避けたいパターンです。これは子どもの注意のコントロールに失敗しています。物理的に強制的に注意を惹きつけないと聞こえない場面は良くあります。
- 熱中している何かを一旦ストップさせたり、取り上げたりするのは、子ども本人には「罰」のように捉えられがちなので、そこの工夫が不可欠です。怒られている・叱られていると感じると、前向きに判断すること、主体的に約束すること(その結果、守ろうとすること)、覚えることが難しくなります。淡々と、あるいは飄々とふるまえるとうまくいきやすいでしょう。「アンタ何時までマンガ読んでるの!宿題は!!」とひったくるのと、「おもしろそうだね。ちょっとこれ置きます。今5時10分。宿題は何時からする?」と決めさせていくのでは、気持ちの切り替え方は変わります。
- できることならば、子どもに怒りやイライラをわざわざぶつけてしまわないようにしながら意識を惹きつけ、こちらの見逃せない・許せないラインを伝え、ある程度の枠・範囲の中で、その子自身がどうするかを選べるようにするのが理想です。踏み越えてはいけない線では止める(認めない)こと。そして、大人に自分の要求を認められない状況を解消しよう、落とし所を見つけようと思えるようになるためには、信頼関係の下地が重要です。この場合の信頼関係とは、これまでにいろいろな場面で「寄り添われ」、自分の意思表示を尊重され、和やかに合意を築いてきた記憶のことです。頭ごなしに決めつけられ叱られ続けてきていたら、いざという時ほどその子はますます抵抗し、受け入れにくくなるでしょう。そうならないように、日頃から、信頼関係の貯金をコツコツと。子どもの思いをただ黙認するよりは、言葉にして確認していくこと。様々な感情も代弁しつつ共有していくこと。
- これは子どもの発達の度合いを問わず、その子が好きで熱中していることを理解しようとしていること、その子に肯定的な関心を向けていることがベースになります。そして、そのためには、その大人自身も尊重され、精神的な余裕をなんとか持っていられることが望ましいです。
大人にだって様々な感情が当然あり、どうしたって怒りを子どもにぶちまけたくなることもあるでしょう。それをゼロにできる人は、たぶんこれを読んでいません。ただ、改めて思い出していただきたいのは、怒りをぶつけて叱ったからといって、それで子どもが思い通りに変わるわけではないことです。子どもに対してイライラしたり怒りを覚えるのは、正当な感情です。
しかし、それをそのまま子どもにぶつけるのは不適切、あるいは逆効果な行動でしょう。
感情に対する評価と、行動に対する評価は別です。子どもでも、大人自身でも。
叱ってでも本当に伝えたいことは何なのか、そのためにどう関係・場面を組み立てていくのか。
子どもの気持ちに寄りそうというのは、子どもを絶対に叱らないことではありません。子どもの主体性を尊重し、信頼関係を積み重ね、それとともに大人として責任を持って何かを教えることとは両立します。